遣唐使船に想う
2021-06-17


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東京オリンピック2020の聖火リレーが全国を回っており間もなく東京にやってくる。ゴールデンウイーク期間中ちょうど長崎県入りする聖火を記念して長崎港に遣唐使船が係留されているのを見学しに行った。
この遣唐使船は、平成22年に平城遷都1300年を記念して角川財団が復元した遣唐使船で、奇しくも聖徳太子遠忌1400年の今年、再び長崎港にお目見えしたのだった。
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長崎県庁内ホールには遣隋使、遣唐使に関連した歴史パネルが展示してあった。その中のひとつのパネルに引き付けられた。

【遣唐副使のクレーム】
唐の国際秩序の中で自国の立場を主張する。
長安に到着した752年の遣唐使は、年が明けた正月、大明宮の含元殿で他の外国使節と共に皇帝に信念の拝賀を行う儀式に参列した。そこで用意された日本の席は、西側の第二、吐蕃(チベット)の下座。ところが新羅の使節の席は東側の第一、しかもその上座に用意されている。これを不服とする遣唐副使の大伴古麻呂は、(長く新羅は日本に対して朝貢を行っていることから席順が義に適っていないとして)唐の役人に猛抗議。日本と新羅の座を入れ替えることを認めさせた。唐は新羅を日本より上とみて席順を決めたはずだが、古麻呂のあまりの勢いに押された。ここには日本が唐を中心とする国際秩序を受け入れながらも、その中で自国の立場を優位にしようと躍起になった様子が伺える。

「クレーム」とか「躍起になった」とか若干県庁の自虐的表現は気になるが、大伴古麻呂のように祖国に誇りを持ち祖国の権威の為に国際社会に対してこれだけ強く物申す日本人が果たして今の政治家の中にいるだろうか。聖徳太子も遣隋使に「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書いた国書を持たせ、隋の煬帝を怒らせたことは有名である。昔の日本人は本来それだけ誇りを失わなかった。
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