修理できない本〜SHIGERU YOSHIDA〜
2020-04-11


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手元に一冊、修理できずにそのままにしてある本がある。
技術的に修理できないのではなく、修理するかどうか躊躇している。
その本は古書バザーで見つけた500円の本だった。

著書名:日本から日本へ 東の巻 
著者:徳富健次郎 徳富愛
発行年:大正10年2月

徳富健次郎は、小説家の徳富蘆花の本名、思想家徳富蘇峰の弟でもある。大正8年から1年かけて妻である愛と世界一周旅行し、この経験をまとめた妻と共著で出版した本だ。
当時の日本人が世界旅行をして何を目にし、どう感じたのか面白そうだと思ったのと、昔の本はページが袋とじになっていてペーパーナイフで1枚1枚破りながら読み進めるので、そのいびつなページ断面(小口)を綺麗にカットする修理の練習台になると思い購入した。

ところが持ち帰って表紙の見返し部分をみると、
SHIGERU YOSHIDA
NEW YORK
NO.
と印が押してあるのを見つけた。(写真)

もしやあの吉田茂総理大臣?彼が持っていた本?
では、このページの袋とじを切ったのも彼自身?
なぜNEW YORK?
外交官でニューヨークに駐在していた?
発行年の大正10年も、吉田茂が生きていた時代と合致する。

ネットで吉田茂の外交官時代の経歴を調べると
明治39年 東京帝大法科大学卒外務省入省。
        領事官補として天津に赴任
明治40年 奉天領事館に赴任
明治42年 ロンドン赴任 
同年12月 駐伊大使館附三等書記官
大正元年 安東領事
大正5年 在米大使館附二等書記官
大正6年 文書課長心得
大正7年 済南領事
大正8年  パリ講和会議全権随員
大正9年  在英大使館附一等書記官
大正11年 天津総領事
大正14年 奉天総領事
昭和3年  外駐スウェーデン公使、高等官一等
同年7月  外務次官、
昭和5年  イタリア大使
昭和11年 イギリス大使
昭和14年 外務省退官

吉田茂とニューヨークの接点が分からない。
徳富蘆花と吉田茂の接点は何かあるかと調べたら、
同じ神奈川県湘南逗子あたりに自宅や別荘があるのと
徳富蘆花がこの本を出版する3年前の大正7年にエルサレム巡礼と世界一周旅行に出かけ、エルサレム滞在時にパリ講和会議に宛てて「所望」と題する、軍備全廃と世界政府に向けた構想を送付している。その時のパリ講和会議の全権随行員の一人が吉田茂である。

この時の徳富蘆花の「所望」が吉田茂の目に留まりのちに出版されたこの本「日本から日本へ」を吉田が手に入れたのか、あるいは徳富蘆花が吉田茂に贈ったのか?
ならばなぜこの本の見返しに SHIGERU YOSHIDA NEW YORKの印があるのか?
経歴では調べられないが、大正10年に吉田はニューヨークにいたのか?
ニューヨーク駐在中に彼自身が印を作り自分の蔵書に押していたのか?
あるいは、ニューヨークには「吉田文庫」的な資料室があって吉田の蔵書を一括保存していたがそのうちの1冊が流れ流れて日本に届き古書バザーで売られたのか?
あるいは吉田茂総理とは全く関係ない大正時代もしくはのちの時代に同姓同名のYOSHIDA SHIGERUがニューヨークにいてその方が押した印なのか。
吉田の蔵書について何か手掛かりがないかとこの本を持参して外交史料館を訪ねた。吉田の蔵書に詳しい学芸員がいれば蔵書印の真偽のほどもわかるかと思った。だが「わからない」「見たことがない」との回答だった。
[URL]

私の中で、この本の謎と想像(妄想?)がどんどん膨らんでいくと、どうしてもこの本に手を加えて修理する気持ちになれれず、どうしたものかと悩んでいる。

【著書 日本から日本への解説】
[URL]
[徒然なるまま]
[製本 修復]

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